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作文練習とメモ

映画「音楽」のなかで嫌だったところ

前に映画「音楽」を見た。めちゃくちゃサイコーの映画だったが、自分の中でひとつだけ不満だった点がある。古美術の森田のふるまいである。

古美術(とそのメンバー森田)は、登場時、古武術と対照的に知識と自意識で音楽をやっているような印象があり、自分はそれに嫌悪感を持った。しかし、その後のシーンで古武術(研二脱退前)の演奏に感動する彼のようすから、自分は「こいつは演奏者としてはダメだけど聴取者としては度量が広い(古美術的な評価軸をもたない音楽を許容できる)んだな」と思い、一旦は森田を見直した。その後、古武術に触発されてか、様々な奇行を通じて音楽上の自我を獲得したようだった森田だが、最後のライブのシーンでは古武術の演奏に爆音ファズギターソロをかぶせ、もっともらしく装飾する(=古武術の音楽に対して勝手に聴き方のガイドラインをつくる)という暴挙に出てしまった。個人的には、自分の好きなサイケデリックロックに寄せられた分、より一層腹立たしかった。以上が森田の一連の行動である。

こうして森田の行動を追っていくと、結局森田は変われなかったんだと思うしかない。変われたように見せかけて、より巧妙に「もっともらしさ」を付与する術を身に着けてしまっただけなのかと思うと、まぎれもない自分自身のことのようで暗澹たる気持ちになる。やはり音楽オタクは「本物」になり得ないのだろうか。そもそも「本物」というのは嘘くさい。よくわからなくなってきた。